ただ、死ぬ勇気が無いだけ

あなたは、死にたくなった事があるだろうか?
こんな書き出しから始まる自殺防止のブログやサイトなんていくらでもある。ここに書き留めるのは自分の為でもあるし、自分が人に対して吐けない愚痴を機械に頼ってるだけの話である。

初めて死にたくなったのは、中学校2年生の時。
花も恥じらう程のイタい時期とも言えるが、この時私は恋をした。今思えば恋よりも執着と言えるような、まあ正にイタい恋だった。
書くのが面倒な上に自分の黒歴史を振り返っているような余裕はない為、詳細は省くが、私は好きな人から嫌がらせを受けた。

だが、妙な嫌がらせだった。この期間は嫌がらせ、この期間は優しく、この期間は嫌がらせ、この期間は優しくというインターバルを置いた嫌がらせだったのだ。
ある時は「死ね」と言われるも、ある時は帰り道に一緒に帰ったりもした。
今思えば、本当に「?」しか浮かばない嫌がらせだった。

クソみたいに気持ち悪い嫌がらせだな、こうやって文字で振り返ると…え?何その高度な嫌がらせ?普通に心がズタボロになるんだが????おまけにお前の事が好きだから????破壊力も半端ないんだが????え????お前の好きなタイプ聞かされるこっちの身にもなってみ????正反対だから、お前の好きなタイプと正反対だから私!!!!!は????何が髪が長くておしとやかで〜じゃコラ、こちとらそんなもん母親の子宮に置いてきたってくらい正反対なんじゃボケ!!!!!!!!

おかげ様で心は擦り切れて、瘡蓋だらけの汚いソレと化した。枕を濡らしては乾かし、濡らしては乾かし、という地獄のような日々が続き、めでたく私の心は壊死した。



希死念慮、恐らく今あなたが見ているこの限界サイトに辿り着くまで何度か触れたワードかもしれない。
簡単に言うと「早く死にて〜」である。詳しくは検索エンジンで見るといい、上手くは説明できん。

唐突に、この希死念慮のビックウェーブに飲み込まれ何度も気が狂ったかのように「死にたい」と願っていた。
今はどうか?死にたいわ、出来ることなら早めに死んでこの世界から抜け出したいと思ってるわクソ。
希死念慮なんて、そうそう簡単には消えない。日常生活をしている隙を狙ってひょっこり顔を出すのである。因みにひょっこりはんは顔が死ぬほど嫌いである。

因みに私の希死念慮には、「未来に幸せが待ってるんだからそれまで生きようよ😘」なんて言う助言は無効である。はがねタイプに毒技が効きますか?そんな根本的に合わない話なのである。
考えてもみてほしい、もう一度言おう、ハガネールにどくどくが効くとでも思ってんのか?

聞いてるとイライラするのである、そんな綺麗事は端から受け付ける気はゼロ、零、ZEROなのだ。
今、自分を苦しめている地獄から早く楽になりたいのに、なぜ未来の話をするのか。理由は至極明快である。そうしないと死ぬからだ。なんと簡単な理由であろうか、自明の理であろうか。
未来に楽しみを持たせることで今自分を苦しめている地獄から、早く抜け出させようとしているのだ。
やべえ、そんな優しさ受けちゃったら、好きになっちゃう… なる訳ないだろ殺すぞ。

死にたさに打ち勝つ方法は、今の私では発見できない。まだ徳川の埋蔵金云々の話の方が可能性はありそうではある。
私に合う、私のやり方で出来る、私の希死念慮にこうかはばつぐんだ!という案が出ない限り、きっと死ぬまで死にたいと願い続けるのかと思うと、やはり早めに死んだ方がいいのである。

人生は1回限り、その人生の大半を死にたいと願い続けるくらいなら、とっとと死ねばいいのである。
無理する必要なんてない、楽になるとそう思うのであれば。
全ての苦しみと、自分が今後手に入れるであろう幸せを代償にこの世からララバイグッバイま〜たど〜こかで〜が出来るのである。

ただ、何故私は生きているのであろうか。
それも理由は単純明快なのである。

オタクだからだ。

それ以外の説明は不要である。
「大好きな彼ピッピの為に💕」「この世を変えるために😡」「素敵な未来のために💓」
そんなんじゃない、私は寝る前のpixiv巡りが止められないからだ。赤〇、安〇、ア〇〇ラ、ゲ〇〇ル、ヴェ〇〇ディのR18支部巡りが止められないのである。

何だここは?天国か?天国なんか?こんな神絵師やら神字書きが沢山居るのにおっちんでられるのか?それこそ狂気の沙汰じゃないか?というかまず三次元の推しに全然会ってないのに死ねる訳なくないか?G〇〇7のライブも行ってなけりゃジ〇〇ソンにも会ってないしUS〇のコナ〇のヤツも行ってねえ、ファ〇〇ビもラストまで観てねえしこの先どんどん文化が発展したら私の心を揺さぶる推しやCPに出逢うかもしれないのに死ねるか?死ねるのか?いや死ねなない!!!!!!!!!!!生きる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

つくづく思うが、元気で限界なクソ野郎なのである。
推せるものがある人生はいい、その推せるものは何だっていい。何が好きだろうが、もう何でもありなのである。自分の人生は何色にもなる、好きな色に出来る。黒がいいなら黒、赤、緑、青、紫、グラデーションだってあり。

今これを読んでいるあなたが、これをどう思ったのかは分からない。馬鹿だな〜でも、いいね!でも、何でもいい。
そして私は、あなたの痛みは分からない。あなたの痛みはあなただけのものである。無闇矢鱈と「抱き締めて…kiss」なんて真似はできない。
私はあなたを肯定もしなければ、否定もしない。結局は、見ず知らずの他人なのだから。
あなたの事は分からない、知る術もない。

でも何となく思うのは、あなたが明日も何となくでもいいから、事故も怪我もなく生きて欲しい、ということである。

今回は、希死念慮の発動経緯と、希死念慮の概念、そして「あなたが明日も何となくでもいいから生きていてほしい」という話をした。
何の有益性もないブログだ。しかも見ようによっては自殺幇助にも見えるような、そんなブログだ。
どう足掻いたって明日は来る。どんな力でも魔法でも、世界の動きは止められない。
だからこそ、こんなクソみたいな世の中だからこそ、自分の輝きだけは失っちゃいかんじゃろと思う。
あなたはあなただ、変わるなら変わればいいし、変わりたくないなら今のままでいい。
好きなように生きろよ。元気な限界オタクとの約束だぞ。